The First President

- 初代理事長より -

医療法人社団帰厚堂 顧問
初代理事長 木村武

《開院のごあいさつ》

錦秋の候、皆さまにはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、かねて盛岡市郊外の流通センターの近く、矢巾温泉に病院を建設中のところ、お陰さまで、このたび開院のはこびに至りました。
 これまで地域住民の健康管理を目的として、広く農山漁村の血圧研究調査を行ってまいりましたが、この高血圧およびそれに起因する諸疾患の予防、治療を当病院設立の目的としてこれを建設いたしました。今後当病院は健康教育の実施、人間ドックの開設などを行い脳卒中、心筋梗塞、糖尿病等各種成人病の治療とともに一般診療にも対応いたす所存であります。
幸いにも当病院は天恵のラジウム温泉を利用することができますので、理学療法を加え、発病早期より、リハビリテーションを実施して、機能の保持をはかりながら、救命治療から機能回復まで一貫した医療を施し、一日も早く社会復帰ができる医療施設として皆さま方にご奉仕することを念願いたしております。
 なお、近代医療で最も要望されている地域医療システムの円滑な運営を完遂するためには、地域の各医療機関と密接な連携を図り、オープンシステムの診療を行いたいと思いますので、なにとぞ格別のご指導、ご利用のほどお願い申し上げる次第であります。
 

《10周年記念でのごあいさつ》

 いま、南昌病院開院の頃を思い出しますと、やはりこのような秋晴れのいい日で、今日もまた天候に恵まれて大変に喜んでおります。
 私事になり大変恐縮ですが、私はライフワークとして長年、脳卒中の研究にたずさわってまいりました。ここで何故私が南昌病院を設立したのか、その辺からお話ししたいと思います。それは岩手医科大学の定年退職を目前にひかえた頃のことです。以前から私はこの地域の脳卒中にかかった人たちのさんたんたる状況を目のあたりにしてまして、ちょうど同期の友人が東北大学の教授をしており、その友人たちに頼んで、鳴子の東北大学分院に患者さんを送るなどしておりました。しかし、何分にも遠方ですし、それから経済的負担もかさむという悩みがございました。
 そうした折、当時、盛岡市青山町に国立療養所があり、これを脳卒中の後遺療養の病院にという話が持ち上がりました。運よくというか、その時の療養所長が盛岡中学での同級生の石川義志君で、彼から「どうしたらいいか」という相談を受け、「いやいや、将来は脳卒中の患者さんたちのリハビリが、主要な医療課題になると思う」と話しました。厚生省でもそのことを了承し、2年後、ようやくこの地域の患者さんを国立療養所に送れるようになったわけです。
本当に長い道のりでした。しかし、残念なことに石川君は志なかばで病気で倒れました。次に来られた根本院長は、子供にも同じような症状があったらしく、子供の患者さんも受け入れ、現在もそのかたちになっております。
 また、志戸平の労災病院にも脳卒中の患者さんが通院しておりましたが、志戸平の方も盛岡から遠いというので、誰しもの願いは盛岡にこのような施設があったら、という希望でした。私の方も何とか盛岡に脳卒中の病院をと長年、思っていた矢先でした。そこで浮上したのが、私の郷里の南昌山のふもとに、当時の町長の高橋重平さんが掘り当てた「南昌の湯」という温泉があり、これはラジウム温泉で循環器疾患にも効果が高く、それではこの温泉を医療に使ったらどうだろうという話がもち上がり、そこで南昌病院という施設を無謀ともおもえる状態で始めたわけです。幸い、無事に開設10周年を迎えることができ、ここ10年の間になかば目的を達しだのではないかと自負しております。
 話は変わりますが、私はここ2、3年来、特に東ドイツとか、あるいはソビエト、そして今年はトルコ、ギリシヤ、スウェーデン、またドイツのクアハウスなどを視察いたしましたが、不思議にも脳卒中で足を引きずりながら歩く人をあまり見かけることがなく、やはり、脳卒中は日本独特の病気なのだと思いをあらたに帰国した次第です。来年はチェコスロバキアを視察する予定ですが、このように私も環境庁や厚生省の方々と一緒に、5年間の計画で、日本の温泉利用法を医学的に考えております。このような仕事の一端を担いながら、南昌病院の医療を行っているわけです。何せ、諸外国も療法は同じなのです。そんなに熱い温泉ではなく、せいぜい30度前後で、17度位の温泉もありますが、それぞれの温度に合わせて療法を行っているわけです。
 このように、私はこの仕事を通して、地域の人々の苦しみを幾らかでも取りのぞき、日本の医学に貢献しようと考えている訳ですが、とくにも今日このごろ、日本は21世紀に向かって人生80年という世界一の高齢化社会を迎えるわけです。こういう時代におきまして、この地域の、あるいは日本の医療のあるべき姿を考えますと、さらに私どもの医療課題は一層、重要性を増すものと思います。
 先ほども申しましたとおり、南昌病院も10周年を迎え、大体初期の問題は解決しそうになってまいりました。その間、盛岡にある和敬荘のような老人に対する福祉事業(三田先生がおやりになっていて、現在なお、役員の一人になっております)、の必要性も非常に高まり、そうした地域的要望から町長さんや県会議員の方々が率先して、南昌病院隣りに志和荘をつくってくださいまして、私がその老人福祉施設の運営を任せられ、現在にいたっているわけです。このようにして、南昌病院と老人福祉施設ができたわけで、さらに、昨日の新聞にも掲載されておりますように、中間施設というものも併せて行える認可がおりました。ここ南昌の地に、三位一体の年寄りの天国をつくり、皆さんにご奉仕することがいよいよ実現可能となったわけです。
この間の10年間の職員の皆さんのご苦労を感謝しながら、これまでお力添え、励ましをくださいました皆さまに改めて感謝いたし、簡単ながら私の挨拶といたします。本当にありがとうございました。
(昭和63年10月、南昌病院創立10周年記念式典のあいさつより抜すい)